ミラクル・グラフェン
                           静岡大学工学部電気工学科卒(47E)
                            ライズプラン㈱一級建築士事務所
                                 代表取締役 竹内栄治
                                   俳句POET 竹内一犀

 新型コロナウイルス感染症拡大に伴い、全国的に大規模な就職活動関連イベントの中止や延期、企業の説明会や選考方法の変更等が相次ぎ、就職活動中の留学生の間に困惑と不安が広がっています。私は今年秋に卒業する静岡大学浜松キャンパスのABP女子留学生(35歳・スリランカ出身・ガスセンサーに利用するナノマテリアルを研究する大学院生・スリランカにいる3歳のお嬢さんと共に浜松での定住希望)のNさんの生活支援をハートリンガル代表の西野惠子さんと共に行っております。
 西野さんがNさんに偶然に出会った時はコロナショックが始まった時期で、Nさんは絶望のどん底に落とされており、彼女は方々から借金をしてお嬢さんをスリランカに帰国させたばかりで、完全に無一文の状態でした。Nさんの美しいつぶらな瞳からあふれる涙を西野さんは見るに見かねてフルーツを届けて先ずは励ますことから始まり、親身の物心両面での誰もが想像できないような生活支援を行うこととなりました。Nさんは将来を嘱望される才女であり、日本人以上に日本人らしく話しふるまうことができ、浜松に定住したいという強い希望があったのです。でも私は当初から彼女の年齢等の条件から就職は無理だと思っていました。でも西野さんはそれを度外視して浜松でNさんの就職先を何が何でも探すようにと私に電話で凄い迫力で頼んできました。これはえらいことになったと私は思いました。Nさんが浜松の企業に就職する為には年齢制限や子連れや無一文であることと悪条件が揃いすぎているのです。並の手段では採用されないでは思われましたので、これは神通力を起こすしかないと思いました。その為には私自身を常識的発想から解放し、神様にも乗っかって戴き、Nさんの真の父親になったつもりにならなければ不可能であると思ったのです。
 私が静岡大学工学部を卒業してから30年以上に亘り、【浜松工業会】(愛称:静大テクノポート?竹内栄治作)で同窓会活動を一生懸命に行ってきたことにより自然にできた多分野に亘るヒューマンネットワークを持っていたこと、真心のある皆様の連携があったこと、私が工学に対する強い好奇心があり、工学的感覚により企業ニーズを直観できたこと、私にはどぶ板精神があること等によって、Nさんを静岡大学で学んできた事を活かすことができる研究職として、浜松の企業に就職できるように導くことができたのではないかと思っております。
 Nさんを浜松に本社のあるU社に結びつけることができた切っ掛けはNさんの履歴書に記載してあった「グラフェン」というスリランカ特産のグラファイト由来の物質名でした。
たまたま知り合ったU社のKさんから電話があり、静岡大学静岡キャンパスのグリーン科学研究所所長の朴龍洙(パクヨンス)先生に会わせて欲しいとの連絡が私にありました。
そこで、私は静大テクノポート?【浜松工業会】事務局の伊藤事務局長にお願いしましたところ、朴先生の快諾を得てすぐにお会いできました。朴先生はウイルスの高速検出装置の特許出願をされたばかりで、きわめてご多忙のご様子でしたが、快くKさんとお話しをして戴きました。学生の頃に電気化学を学んだKさんはとても感激しておりました。その時に朴先生が私達に見せて戴いたプレゼン資料の中に私は「グラフェン」を見つけ出し思わず大きな声で「グラフェン」と叫んだのです。
「グラフェン」こそが後にNさんがU社に採用が決定したことの始まりでした。
朴先生は私たちに対して丁重に対応して戴き、帰りには石井潔学長に会わせて戴きましたので、Kさんにはとても満足して戴きました。帰りの車の中でKさんが「竹内さん、僕ができることがあれば何でもしますので」と言ってくれました。
 翌日、私は「グラフェン」を研究しているNさんに電話で「Nさんの研究室の先生で電子工学研究所の下村勝先生にグラフェンのことでお会いしたい」と頼みました。
すぐに私は下村先生にお会いし、朴先生のところで「グラフェン」というNさんが研究しているキーワードを朴先生のところで見てきたことをお話しました。その時、朴先生と下村先生との奇跡の虹は既に繋がっていたのだと感じました。
 私は下村先生にU社のKさんに先生の研究室でNさんとハートリンガルの西野恵子代表と同席にて会っていただけませんかとお願いしましたところ、阿吽の呼吸でご理解戴きました。
すぐに、私はKさんに連絡をして、静岡大学浜松キャンパスへお越し頂くようにお願いしました。
Kさんに下村先生の研究室にきて戴き、私は「グラフェン」から切り出しました。
Nさんは先生のそばで直立不動にて立っておりましたので、私と西野さんは何度もNさんに緊張せずにゆっくり座ってくださいと言いましたが、Nさんは最後までまっすぐに立っておりました。
スリランカでは目上の人に対する礼であるとのことを後に知りましたが、スリランカは仏教国でもあり、Nさんが日本人以上に日本人らしいと思ったのはその時でした。
Kさんは下村先生のナノマテリアルに関して強い関心があるようで、NさんによればKさんの眼は
潤んでいたとのことです。
私は工学的直観にて「何かいいことが始まるぞー」と思いました。
 しかし、Kさんを私がキャンパスから見送る時に、Nさんのことは如何でしょうかと尋ねましたところ、「無理ですね」と言われ、やっぱりそうか、奇跡などそう簡単に起こる訳がないと思いました。
やれやれ、またしても徒労に終わったかと落胆してしまいましたが、ひと眠りして、がばっと起きた時、けろっとしてプラス思考してしまうのが私の病弊で、またまた次のNさんの就職先探しをはじめました。吉田町のダイバーシティーを標榜する大川原製作所のお嬢さんの綾乃さんに頼んでみようか、磐田市の知り合いの化学会社の専務に頼もうか、いろいろ模索しておりましたところ、しばらくして、Kさんから電話を戴き、「竹内さん、僕はできるだけのことはやってみますよ。ただし、決して当てにしないで下さい」とのことでした。この時に奇跡の細い糸が私には見えました。
120%採用されることはあり得ないという思いと、私のどぶ板営業マン的なKさんへの懇願により、ひょっとすると採用してもらえるかも知れないという思いが常に錯綜する日々を送っておりました。
きっと、「グラフェン」で繋がる。「グラフェン」に違いない。事実、KさんとNさんと下村先生と西野さんと私は「ミラクル・グラフェン」によって徐々に繋がっていったのです
随分と待ちましたが、2か月後のある晴れた日に、Nさんと西野さんが私の建築事務所へやってきて、ニコニコしながら「内定が決まりました。有難うございました」とNさんは言いました。
その時に、その言葉を聞くのも束の間、私はそっと隠れてKさんに電話でお礼をいいましたが、言葉にはなりませんでした。後に西野さんが私に言うにはNさんが「竹内さん泣いてるんじゃないの」と言ったそうです。
私は浜松工業会のUターン相談室のUターンOBの再就職相談窓口のボランティア活動を25年間行って参り、多くのOBのお世話をさせて戴きましたが、これだけ身を狂わせながら、神がかりとなりながら仕事のお世話を行ったのは初めてでした。もう金輪際、仕事の世話をして泣くことはないと思います。
Nさんの内定通知確定こそが、私にとってはUターン相談室活動の集大成でもあると思っております。
 その後も西野さんはジャパニーズマザーに徹し、Nさんが浜松に定着できるように命掛けで生活支援を行っております。
西野さんが行ってきたNさんへの生活支援は多岐に及びますが、その内容は高度人財を地域に定着させようとする為に市民でなければできないことばかりでした。
留学生の危機に対する素早い判断と行動は大学や行政では行うことのできないことで、市民ボランティアであるからこそできることです。
以上、西野さんが行ってきた静岡大学ABP留学生の生活支援の意味と問題点を西野さんが身をもって感じ、悩んだことを手記にまとめてくれる日を心待ちにしたいと思っております。
 西野さんが一人の最もミゼラブルな女子留学生に掛けた思いにこそ、先導的なグローバル人財を浜松にハッピーに定着していただく為のエッセンスが含まれております。
先ずは一人の人間に真剣に向き合い、得た何等かの真実は万人にとっても真実であると思われます。
グローバル人財と市民とのハートがつながることが重要で、これは心ある市民の役割です。
 良いまちを創る為には、至誠心のある先導的人財が必要です。良い大学を作るにもやはり至誠心のある先導的人財をはぐくむ必要があります。他のまちから優れた人財を浜松へ大金を出して連れて来れるものでもなく、他の大学から優れた学識経験者を簡単に招聘できるものでもないと思われます。
はありません。優れた大学を創る為には感性が豊かで至誠心のあり、勇気があり、優れた知力のある学生に愛校心を植え付け、浜松を好きになって戴き、大学に残り、素晴らしい研究成果を上げて戴くようにする必要があります。その場合には大学における勉学支援と同時に市民による心からの生活支援が必要となります。
 留学生の皆様と交流していますと、生活支援のことで最も重要なことは生活してゆくためのお金のことであることが分かります。
困っているのはNさんだけではなく、多くの留学生が同様に困っていることなのです。大学院2年生の留学生はほとんどがアルバイトで生活費を稼いでおります。
「どのように動けばよいのかわからない」「ジョブフェア等で色んな企業の情報が集められるのに中止になってしまい、詳しい説明を聞く事ができずどこに応募しようか判断しづらい」「中小企業やベンチャー企業の情報をどうやってとればよいのか分からない」といった声が聞かれます。
 浜松の中小企業は日本語能力がN2でないと採用されないことは明らかですので、大学院1年生の留学生には積極的に日本人と関わり、お話しをすることにより日本語能力をアップするように伝えております。日本で就職しようとするのであれば、少なくとも6か月間は集中して日本語の勉強をしなければ、日本語能力がN2にはなれません。
大学院入学の条件には日本語が話せなくてもよく、英語だけでOKとなっておりますが、日本の大学に入る目的が、日本の企業に就職したいのであれば、大学院に入る前に日本の日本語学校にて、N2レベルにすべきであろうと思います。授業もやはり日本語で行う必要があります。
 高度留学生であれば、日本語は話せなくても良いと、大企業の研究所や本社中枢幹部は思っているかもしれませんが、大会社でも現場もありますので、会話とメール交換はできなければなりません。
 この傾向はコロナショック以降、内需拡大に向かう大手企業において顕著に表れております。
学業を終えてからすぐに母国に帰るのであれば、日本語をマスターする必要はありませんが、日本に住みたいのであれば、命がけでN2を取らなければなりません。
 次に日本に定着して研究の道に進みたいのであれば、日本人のものの考え方を良く理解し、日本人以上に日本人っぽくなることです。
共同研究をする場合には単純労働と異なり、気持ちを一にして行動しなければなりません。
ハートが通じ、信頼関係をつくることができなければ、良い研究成果を得ることができません。
日本語の習得は大学院卒業後ではNGで、大学院入学前でなければなりません。
留学生が入学直後に煩雑な入国手続きを行うことで、日本語をマスターする時間が無くなりますが、
このことをサポートする公的な制度や民間支援があると助かります。
又、大学内の日本語教室に通う為には、研究室の実験にて時間的な余裕が取れないなどのことで、
だんだん足が遠のいてしまうことがあるようで、結果的には日本語の基礎ができずに、気が付くと
卒業ということになるようです。ところがこの時は既に遅しということになります。
 又、留学生がレストラン等にてアルバイトを行うことも日本語能力をアップできますが、日本語の勉強は先生について学ぶべきで、その方が上達が早いです。
 この度、ハートリンガル代表の西野惠子さんが下村先生からナノマテリアルに関する博士として今秋卒業のN4レベルのインド出身の男子留学生のRさんに日本語と立ち振る舞いについて指導してほしいとの依頼を受けて、西野さんはこれぞ天職とばかりに夢中になって教えております。
Rさんはこれからは生活の為にアルバイトもしなくてはならず、土日曜日や夜間でなければ、日本語を学ぶことができないとのことです。とすると、場所が浜松キャンパスの同窓会館しかなくなりますので、土日や夜間でも日本語を教えることのできる方法として、私は下村先生に「先生、では今すぐに 【ノーベル・ポート】 というグループを作り、私が会長になり先生に顧問になって戴きますが
お願いできますか。」とお尋ねしましたところ、先生はすかさず、「喜んで」ということで、その場で即決し、【ノーベル・ポート】を立ち上げました。
このことを私は浜松工業会の伊藤事務局長様にお話しをして、今後の日本語勉強室の場所の確保に
ついて、お話しさせて戴き、ご了解を得ました。
これで、私は静岡大学浜松キャンパスの学生諸君と静大学生との文化交流を求めている市民との懸け橋となることができました。
ノーベル・ポートは留学生の為の時間外日本語勉強会としてスタートしますが、ノーベル賞へのチャレンジ精神を植え付けることができる教育プログラムを学生と共に作り上げて行ければ良いと考えて
おります。
 ウイズコロナの世界ではそれぞれの国々が生き残りを掛けて、知恵を絞り出し、新技術開発に
力を入れてゆくと思われますので、留学生には高度な頭脳が今まで以上に求められると思われます。
研究者を目指す留学生は日本の企業の海外ブランチ工場のリーダとなる為に日本に来た訳ではありません。その創造的頭脳は世界の人々の幸福の為に生かされなければなりません。
国籍の如何を問わず、至誠心のある創造的な頭脳を持つ人々が世界を正しく牽引しなければならないのであろうと思われます。
             たましいの透けば尊し水くらげ  竹内一犀